親の地元で親孝行!デイサービスを起業した女性理学療法士の思いに迫る

日程 : 2023年11月11日(土)
時間 : 13:30 〜18:20
場所 : ウィンクあいち (愛知県名古屋市)

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リハプライムへ新卒入社し、管理者を含む8年の経験を経て、コンパスウォーク御前崎店を起業した、理学療法士の阿部史花さんへお話を伺いました。

目次

親の地元に親孝行・恩返しをしたい

ーー(寺本)さっそくですが、阿部さんが大切にしていきたいことや信念を教えてください。

(阿部)一言でいうと親孝行。親の地元に恩返しをしたいと考えています。新卒で埼玉のリハプライムで理学療法士をやっていた頃から、自分の親が他人に言われて嫌なことはしない、言葉づかい、利用者さんとの向き合い方など、心がけていました。

ーーご両親に向けての思いが強くあるのですね。阿部さんのご両親への思いへ対する背景、親孝行したいと思ったきっかけはありますか。

小学2年生から野球をやっていました。好きなことを好きなだけさせてもらっていたんです。中学生になるとクラブチームの遠征や練習試合で遠くへ行くことも多く、その度に送り迎えをしてもらっていました。働き始めてから、改めてありがたさを感じますね。

実は、大学4年生の時に父親がガンで亡くなってしまったんです。
当時、母は病気の父や自分の親、私たち子どもの面倒を見て、忙しかっただろうと感じます。両親には本当にお世話になったので、私がいるところに母を呼ぶのではなく、母が好きな場所で起業したいと感じました。

ーーお父様にそんなことがあったのですね。お父さんとの思い出、これはやってあげたかったと思うことはありますか。

父は、生きていたら定年退職という年齢です。仕事が忙しい中でも、野球の送り迎えや応援に来てくれていましたし、退職してからやりたいことについても話していました。父の思いを叶えたかったのですが、結局甘えっぱなしで終わってしまったと思います。

ーー阿部さんのやりたいことを応援し、時間を使ってもらったからこそ、思い出がたくさんあるのですね。

ちなみに、お母さんとの思い出はありますか。

父の具合が悪い時期と、祖母の体調不良が重なってしまった時、母は嫌な姿を見せずに一生懸命看病をしていました。

今になって自分の時間ができ、年々若返っているようです。コロナ期間中に私がマラソンを始めたところ、母も一緒に取り組み始めました。富士山にも3,4回登っていて、パワフルで尊敬する母親です。

ー一一緒に元気になる感じがいいですね!ご両親の背景は、今の阿部さんの思いの根源になっていると思います。小さい頃から野球をしていたとのことで、野球を通して学んだことや、大切にしている思いなどありますか。

野球と仕事で同じだと感じることは、いくつかあります。野球で1番にグラウンドに着いて準備をすることは、職場に1番に出勤していいスタートを切れるように用意をすることと同じですし、道具へ感謝すること、チームワークの連携を取ることも、野球と仕事で共通しています。

ーー野球と仕事で通ずるものがあるので、今も楽しそうですね。

今も土日は野球をしています。価値観ベースでは、野球も仕事も一緒です。自分が活躍して、目の前の人に喜んでもらう毎日が続けばいいと思っています。

小池社長がおっしゃるように、私が目指したいことは『ハッピーリタイアメント社会』です。地域の困りごとをいろんな事業で解決できればと思い、静岡からハッピーリタイアメント社会の一助になれればと思っています。

※ハッピーリタイアメント社会とは、歳を重ねても、なお、挑戦し続けられる。理屈なしに、存在を尊重される。世代を超えて助け合い、認め合い、大切にされる。そのような社会のことです。

詳細はこちら⇨リハプライム企業理念 / 行動指針

「夢を持っている人を応援する」に惹かれリハプライムへ

ーーリハプライムへの所属がきっかけで学んだこと、特に印象的だったエピソードなどありますか。

本当に小池社長から救われたと思っています。新卒で就職する病院は、大学の先生の紹介などで探していました。でも、土日祝日に野球があるため、野球と仕事との両立ができる病院は限られていたんです。一人だけ就職が決まっていないし、父の体調も悪く、国家試験の模試結果もいまいちで…

そのような中で小池社長と面談したのが、大学4年生の2月。1番苦しかった時期なのですが、小池社長は野球の話をしたときも心から応援してくれたため、リハプライムで野球と仕事を同時にやっていくことになりました。

就職当初、野球と仕事は別に考えていました。しかし「阿部さんの野球観戦ツアーをやろう」など声をかけてもらう機会もあり、野球と仕事の相乗効果を感じることもありました。これは、リハプライムでなければ取り組めなかっただろうと思います。

※リハプライム小池社長のインタビューはこちらです。
リハプライム様企業紹介

ーー素敵ですね。利用者さんもたくさん来てくれたのでしょうか。

デイサービスとは別枠のイベントでしたが、多くの利用者さんが参加してくれました。イベント以外でも野球好きな利用者さんが千葉まで大会を見に来てくれることもあり、野球も仕事も頑張れるありがたい環境だったと感じています。

ーー仕事もプライベートも応援してもらえる環境はいいですね。

リハプライムの「夢を持っている人を応援する」というフレーズに惹かれたんです。就職先を探すとき、たまたまホームページを見つけて電話をし、その翌週に小池代表とお会いしました。当時の求人は訪問リハビリのみだったのですが、4月にデイサービスがオープンすること、上司がいる安心できる環境で働けることを知り、面接後にリハプライムへ就職することを決めました。

ーー入職してからこれまで、頑張ったことやしんどかったことなど山ほどあると思います。特に印象的だった挑戦や頑張ってきたことなど教えてください。

入社後に配属されたデイサービスのコンパスウォーク宮原店では、3年目で管理者になりました。それと同時に感じるようになったのが、『責任』です。それまでは失敗しても上司がフォローしてくれるという甘えがありましたが、管理者となると自分で責任を持って行動や発言をしなければなりません。人に仕事を頼むことが苦手だったので、書類作成や現場のことなど、1人で抱え込みすぎていました。

ーーなぜそのようになったと感じますか。

会社と現場の間に挟まれて、自分の意見を持っていなかったことが原因だと思います。私個人としてどういう店舗にしたいのか、自分の意志がありませんでした。また、教えるより自分がやった方が早いと考えていたことも、結果的に後輩や部下の成長を止めていました。今になって感じます。

「自分はどうしたいのか」の答えを持って活動

ーーそういった経験を経て、今はどのような思いを持っていますか。

今は、小池社長のビジョンがあった上で「自分はどうしたいのか」の答えを持って活動できていると思います。

実は、管理者になってからてんかん発作を起こして車の運転ができなくなり、検査入院をしたことがあったんです。仕事を他のスタッフへ振っていなかった分「阿部さんがいないと、何をすべきか分からない」ということもありました。

この出来事を通して、1人で仕事を抱え込むのはよくないこと、自分の体を守れないと他人を守れないことを知ったんです。時間をかけてでも周りの人に仕事を引き継いでいこうと考えるきっかけになりました。ちなみに今は、新しく買った車を1年半で40,000キロ運転するくらい元気です!(笑)

ーー経営者になって、社会に対する役割が変化していると思います。起業してから今日まで感じていること、ご経験を振り返っていかがですか。

1店舗の経営はある程度分かるようになりましたが、会社として店舗を運営する場合はスケールが大きくなります。社労士、税理士、銀行員、役所や保険会社の方など、関わる職種が大きく増えました。大きな金額の管理などイメージがつかず、それぞれの業務のあとに次は何をやればいいのか、多くの疑問がありました。リハプライム本社のサポートがあるからこそ、役割を全うできているところはあります。

私の使命を考慮すると、”起業”は絶対に必要だと感じています。To Doリストだけを考えると多くの業務がありますが、最近は一つひとつ意味付けできるようになってきました。それを形にするのが経営者の役目です。自分の思いをできるだけ明確に描いて形にしていくため、事あるごとに周りの人にビジョンを伝えています。

ーー起業してよかったことは何がありますか?

親元の近くに帰ってきて起業したことで、親と関わる機会が増えました。数ヶ月に1度の帰省のみで会っていたときよりも、母がイキイキしていると感じます。小池社長に「なんでか分かる?」と言われて。「子どもが充実しているのが1番の親孝行だ」と言ってもらったんです。

子どもの頃、私が野球をやっていたときもいつも変わらず応援してくれました。あの時も好きなことを一生懸命やっていたから応援してもらったんだと思い返しましたね。

地域の困りごとの解決、次の世代への恩送りをして行きたい

ーー阿部さんがこれから個人・会社としてやっていきたいことを教えてください。

コンパスビレッジの構想に取り組みたいです。それも、これまで勤務していた店舗の真似ではなく、私独自の地域包括システムを作りたいと考えています。デイサービスのみのために起業したわけではないので、地域の困りごとの解決、社員さんや親のやりたいことなど、さまざまな事業に挑戦しようと思っています。

経営者は、自分が徳を積んだことを社員さんにも流していけるすごくいい仕事だと思うんです。

野球では、先輩にやってもらったことを後輩に返す『恩送り』を学んできました。これからは、親だけでなく、若い世代や子どもたちに関する事業にも取り組みたいです。子どもとシニアをつなぐ事業もやりたいですし、野球と関連したことにも挑戦したいですね。

ーー3年以内にやりたいことはなんですか?

御前崎市は、高齢者が増える一方で若者は減少傾向にあります。キャリアアップ制度を作れる街にするため、今年中にもう1店舗増店する予定です。また、介護タクシーなどの事業を通して、地域に恩返しできればと思います。

翌年さらに1店舗立ち上げ、まずは3店舗作ります。その上で、介護度が重くなった方を考えた1日型のデイサービスを3年以内に作りたいです。

その後、3〜5年は訪問看護、定期巡回などに取り組み、5年目以降に子どもに関する事業に着手したいと考えています。

野球チームに関しては、来年スタートできるよう動いています。利用者さんと「野球」という共通の楽しみを通して、繋がる場所を作っていきたいです。

会社経営を通して恩がめぐる、温かい地域を作りたい

ーー来年の今、どのような自分になっていたら嬉しいですか。

『ロマンとそろばん』という言葉があります。数字を把握するのは苦手ですが、12月にスタートしたコンパスウォーク御前崎店は、4ヶ月目で黒字化を測ることができました。スタッフが頑張っているため、そこに還元できる体制と十分な数字を作っていきたいです。

ーー1年以内にお母さんにしてあげたいことはありますか。

去年母と富士登山をした際、天候が悪くて山頂に行けませんでした。今年はリベンジできればと思います。それから、今年は母と一緒にホノルルマラソンに出場する計画を立てているんです。そのためには1週間ほど現場を抜けなければならないので、私がいなくても仕事が回るようにしていきます。

ーー先に決めてそれに向けて動くことは大切ですよね。

数年前に仕事を任せられなかったときは、業務の可視化ができていませんでした。詳しく言うと、コンパスウォークとしてどんなことをすべきか、どういう店舗にしたいか、だからこう行動をしましょう、こういう行動をとるためには、こういう気持ちで働きましょうなどの思いと行動指針です。

最近は、これらを目に見えるような形で言語化し、誰にでも分かるように伝える意識を持つようになりました。自分が発言した以上は、一貫性を持ってまずは自分が体現すること、言ったことは実践することを意識して行動しています。

ーー最後に、今後どんな社会になっていたらいいと思いますか。

会社を作る上で、スタッフによし、利用者や地域によし、未来によしと、理想を言語化することから始めました。会社経営を通して、恩がめぐる、温かい地域を作りたいと思っています。

「理学療法士は病院で働かなければならない」

そういった固定概念がある方もいますが、必ずしもそうではありません。思い込みがあると行動に移すことができず挑戦もできないですよね。

私の起業はデイサービスから始まりました。さらに、ビジョンを実現するためには、子ども関連の事業やスポーツとのかけ合わせなど、さまざまなアプローチができます。やりたいことを明確にして固定概念を取っ払って一生懸命やっていれば、応援してくれる人も出てきます。とてもありがたいことです。やりたいことに向き合っていると、助けてくれる人や応援してくれる仲間がずっとついてきてくれます。

起業でなくても、やりたいことに挑戦するのは人生において大切なことだと思います。これから何か始めたいと思っている方には、固定概念を崩して思い切って挑戦してほしいですね。

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この記事を書いた人

新卒で総合病院のICU看護師として勤務。病院より広い世界を見たい一心で海外へ飛び出した後、現在はフリーランスの道を歩んでいます。ここ数年は「看護だけでない医療・介護の広いフィールド」「患者さんではなく、医療従事者」に興味津々です。

看護師になった理由は「人の話を聞いて、相手の人生をよい方向に導きたい」と思ったから。この思いをフリーランスのフィールドへ転換し、インタビューライターとして活躍中。
超ジェネリストタイプ。「ハイライトすべきもの・人をハイライトしたい!」をモットーに、輝く原石をもっと輝かせるために多方面で活動しています。趣味は旅、読書、英語。もう一度看護師として働くのもいいかも!とひそかに思っています。

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